「実感」が先

超久しぶりの投稿になります・・・。

さてここのところ真冬の寒さが続きますね。
そんな時、「寝る時寒いから羽毛布団にするかぁ」とか
「出かける時寒いからダウンジャケット欲しいなぁ」
なんて思って購入した時、「やっぱりいいなぁ」と多くの人が思ったら
羽毛布団やダウンジャケットの効果などの議論はおきないでしょう。
何故なら望んだ効果、望んだ結果を得られた事を「実感」しているからです。

コロナ騒動の一応の着地点が見え始めたこの頃ですが、
マスクやワクチンについての議論がSNSを中心に見受けられます。
マスクを外す、外さない、外せない、ワクチンを接種する、しないなど
真っ向から対立し分断を生んでいます。
そしてふた言目には「エビデンスを出せ」とか「データを出せ」とか・・・。

何故この様な議論が行われ意見が対立するのか?。
その本質はどこにあるのかを考えたとき、
望んだ効果や望んだ結果が「実感」出来ていないからではないかと思います。

この実感が有ればエビデンスやデータは要求されることはないでしょう。
タイトルにも書きましたがそれらより実感が先なのです。
もちろん完全にいらないと言うわけではありません。
作り手や発信者側は持っておくべきです。
が、しかし多くの人達が望んだ効果や結果を得られていれば
エビデンスやデータは必要ないのです。
何故なら満足しているからです。

3年にわたりコロナ騒動が続きましたが、
マスクやワクチンの効果が有ったのか無かったのかは断定できませんが、
望んだ効果、結果には届かなかったという事は断定できるのではないでしょうか。
だから意見が対立し分断しているのです。

マスクなどは個人の判断に委ねると発表されていますので、
こうなったらマスクをするも、しないも各々が望んだ結果になるまで、
気の済むまで自分の意思を貫くのがいいんじゃないでしょうか。
冷たい言い方に聞こえるかもしれませんが、
「私は私、あなたはあなた」それが個人の判断に委ねるということかと・・・。